長い間、日本人に親しまれてきた和菓子の一つと言えば、「せんべい」や「おかき」に「あられ」でしょう。
これらのお菓子が米菓と呼ばれるようになったのは昭和になってからのことです。
今や「米菓」と言えば、これらのお菓子が思い起こされますが、この3種の違いは何なのでしょう?
普段あまり気にすることなく食べていると思いますが、今回は、「せんべい」と「おかき」と「あられ」の違い・発祥について解説します。
「せんべい」、「おかき」、「あられ」の違い
結論から言うと、作り方ではなく原料の違いです。
3種とも原料は米ですが、「せんべい」の材料はうるち米、「おかき」と「あられ」はもち米になります。
「おかき」と「あられ」は、もち米を原料にしている為、火を通した時に膨らみやすく、食感が「せんべい」と比べて柔らく感じます。
そして、「あられ」と「おかき」の違いは大きさの違いです。
大きいものが「おかき」、小さいものが「あられ」になります。
また、「あられ」は主に関東を中心に広まった呼び方で、「おかき」は関西を中心に広まった呼び方です。
その為、関西では「あられ」のような小さい米菓のことも「おかき」と呼ぶことがあります。
作り方や、塩味や醤油味、甘い味などの味付けは関係ありません。
ただ、最近では原料はもち米ですが、見た目が丸いので「せんべい」と呼ばれている米菓もあるようです。
「せんべい」の由来
「せんべい」は、うるち米を原料にして平べったく焼いたものです。
「うるち米」は粘り成分が「もち米」より少ないため膨らみにくく、硬めの食感になります。
「せんべい」には、米から作られる塩せんべいの他に、小麦粉から作られる瓦せんべいもありますが、一般的な「せんべい」と言えば、米を原料にしたものです。
「せんべい」の発祥には諸説あり、埼玉県の草加にある団子屋さんのおせんさんという人が、旅人から教わってあまった団子の残りを平たく潰して焼いたのが始まりという説、平安時代の僧である空海が中国から持ち帰ったものという説、千利休の弟子が考案したのが始まりである等、様々な言い伝えがあるようです。
また、間食のお菓子として広まったのは室町時代以降であり、江戸時代になって多くのせんべい屋さんが誕生しました。
江戸時代のせんべいは、小麦粉に砂糖を混ぜて練って焼いたものでした。
中でも塩せんべいは下級品とされ、農家が残り飯を煎(い)って蒸し、塩を混ぜて伸ばしてから竹筒で丸形に抜き、天日干しして炭火で焼いたのが始まりとされています。
現在のような塩せんべいに醤油が塗られたものが出始めたのは1645年以降で、江戸に近い町屋、千住、金町、柴又、草加などで繁盛しました。
奥州街道の宿場町でもあった草加の草加せんべいは、塩せんべいを代表するせんべいとして広く知られるようになりました。
「せんべい」の名前の由来は、団子屋さんのおばさんの名前がおせんさんだったことから「おせんべい」と名付けられたという説や、千利休の弟子だった幸兵衛さんの名に因んで、師匠である千利休から「千」をもらい、自身の「幸兵衛」をつけ「千幸兵衛」が省略されて「せんべい」になったという説があるようです。
「おかき」の由来
「おかき」も「せんべい」も同様に材料は米ですが、米の種類は「せんべい」がうるち米、「おかき」はもち米です。
そして、「あられ」より大きいものを「おかき」と言います。
ただし、大きさに明確な決まりはない模様。
「おかき」は、正月に神様にお供えした鏡餅を槌を使って欠き割ったものを揚げたり焼いたりしたもので、昔はどこの家でも作られていた庶民の味でした。
名前も由来は、「欠いた餅=欠きもち」という意味で、室町時代の宮中で女性が「お」を付けて「おかき」と呼ぶようになり、現在の「おかき」となったと言われています。
つまり、おかきは京言葉なのですね。
「あられ」の由来
「あられ」の名前の由来は、冬に空から降ってくる氷の粒のあられほどの大きさであるという説と、餅を砕いて鍋で炒る音があられの降る音に似ているからという説があります。
「あられ」は、奈良時代の宮廷ではおもてなし料理として作られ、唐の国など海外からのお客様用に出していました。
当時の「あられ」は今のような食べやすいものではなく、米粒を炒ったものでした。
「あられ」と「おかき」との違いは大きさで、「おかき」より小さなものを「あられ」と呼びます。
「あられ」は主に関東地方の呼び方で、関西地方では「あられ」のことも「おかき」と呼んでいるそうです。