クッキーとビスケット、サブレって何が違うの?
ティータイムのお供の定番であり、サクッとした食感と、口いっぱいに広がる甘さが嬉しいクッキー、ビスケット、サブレ等の焼き菓子は、幅広い年代に親しまれ、家庭においても、よく食べられているお菓子ですが、これら3つの違いは何なのでしょうか。
一見、違いが分かりづらいクッキー、ビスケット、サブレですが、実は少しずつ異なる特徴があります。
まず、いずれも小麦粉、バター、砂糖などを使用して作られるお菓子ですが、材料の配分・種類などが少しずつ異なっています。
また、クッキー・ビスケット・サブレの分け方については、国によって様々です。
クッキーの特徴
軽やかな口どけで、家庭で食べるおやつにも人気の「クッキー」は、アメリカから伝わった焼き菓子のことを指します。
アメリカでは、さくっとしたお菓子すべてを指して「クッキー」といいます。
日本においては、小麦粉を主原料とする焼き菓子で、「糖分と脂肪分が全体の40%以上のもの」がクッキーと定められています。
ビスケットの特徴
イギリスから伝わってきた焼き菓子が「ビスケット」です。
クッキー、サブレに比べると少々固いのが特徴で、イギリスでは小麦粉で作ったお菓子を総称してビスケットと呼び、保存食用として作られた2度焼きのパンがビスケットの始まりだと言われています。
日本では、「糖分と脂肪分が全体の40%未満のもの」を「ビスケット」と呼びますが、小麦粉に糖類、脂分、食塩などを加えて作った焼き菓子の総称としても使われています。
その為、クッキーのことをビスケットと呼んでも間違いではありません。
ただし、イギリスにはクッキーという言葉が存在しないため、焼き菓子全体をビスケットという呼称で統一しています。
ちなみに、某ファストフード店の「ビスケット」という商品を思い浮かべると分かりやすいのですが、アメリカでは、スコーンに似た厚みのあるパンに近い焼き菓子が「ビスケット」と呼ばれています。
薄い焼き菓子はすべてクッキーで、塩味がついたものはクラッカーです。
イギリスでは、パンのような焼き菓子はスコーンと呼び、アメリカのビスケットと同じ意味で使われています。
サブレの特徴
「サブレ」は、フランス語で「砂」を意味する、フランスから伝わった焼き菓子です。
クッキーやビスケットには小麦粉が多く使用されているのに対し、一般的な「サブレ」には、バターやショートニングが多く使われており、ベーキングパウダーは使われていません。
その為、ビスケットやクッキーよりも、さらにさっくりとした食感が特徴です。
フランスではクッキーやビスケットと呼ばれるお菓子は存在しておらず、焼き菓子全体をサブレと呼んでいます。
クッキーの歴史
現在、世界中で食べられ、最も普遍的なお菓子の一つである「クッキー」ですが、その起源は、紀元前にさかのぼると言われ、旅の携帯食が始まりともいわれています。
その最大の理由は、長期間保存がきくこと、高い栄養価、手軽で持ち運びが可能という機能に集約されます。
例えば、船の中で料理をしなければならない場合、料理人に加え、航海日数×3度の食事分の食料を備蓄しなければなりません。
加えて、長期間保存する為のスペースを確保する必要があり、現代のような冷凍庫・冷蔵庫などの設備が存在しない時代には、手軽な携帯食という存在は、いわば航海には必需品だったのです。
実際、1588年の無敵艦隊で有名なスペイン海軍では、水兵・水夫の1日の手当ては1ポンドのクッキー(ビスケット)と1ガロンのビールであったと記録されています。
このように、船旅・軍隊の携帯食としての存在がクッキーの始まりなのです。
そんな携帯食として利用されていたクッキーが、お菓子として開発され始めたのは、7世紀のペルシャともいわれています。
当然のことながら、クッキー(ビスケット)は旅行用以外にも広く利用されていましたが、その質感は硬く、乾燥していて無糖でした。
また、西洋における主食はあくまでパンであることから、パンの調理の後に作られており、貧しい人の為の安価な栄養補助食品としての役割でした。
そのクッキー(ビスケット)が、「お菓子」として付加価値がつくようになったのは、砂糖を使用することになってからです。
始まりはペルシャ帝国の料理家によって開発されたものが起源とされ、当初はハチミツ・果物で甘くする方法がとられていたといいます。
そして、14世紀、ヨーロッパでは当たり前の存在にまで普及し、王室の料理から町の露店販売まで、あらゆるスタイルで製造され、全ての階層の人が日常的に食べるお菓子に進化を遂げたのです。
なお、ヨーロッパにクッキーが広まったきっかけの一つは、キリスト教国のイベリア半島奪還を目的に行われた700年にわたる戦い、「レコンキスタ」であるともいわれています。
レコンキスタは、イスラム教の国がスペイン・ポルトガルがあるイベリア半島を征服したことに対するキリスト教国の奪還事業で、軍隊の遠征には携帯食として重宝するクッキーが大いに活躍したのでしょう。
その後、1620年後半には、船旅にも強いというクッキーの特性を生かし、オランダを経て、アメリカに持ち込まれ、全米に広まることとなりました。
ちなみに、クッキー(ビスケット)が日本に最初に登場したのは、アメリカ同様、ヨーロッパ諸国が全世界を席巻した大航海時代です。
具体的には1543年、鉄砲と共にポルトガル人によって種子島に伝えられたとされています。
しかしながら、鉄砲が瞬く間に日本全国に普及したのとは違い、クッキー(ビスケット)が庶民の間で広く普及するまでには、かなりの期間を要することになります。
実際に、クッキー(ビスケット)が記録として登場するのは幕末の時代であり、長崎の医師で蘭学者である柴田方庵が水戸藩からの依頼で製法書を作製し送ったという記録が初めてです。
また、ゴーフルのお菓子で有名なお菓子メーカー「風月堂」が、明治元年に薩摩藩にクッキー(ビスケット)を納めたという記録も残っています。
クッキー(ビスケット)は幕末においても、携帯食、腰兵糧的な扱いとして利用されていたことが見て取れます。
少なくとも、庶民のお菓子として広く普及するようになるのは、明治時代になってから。
クッキー(ビスケット)を、庶民のためのお菓子として広めた存在が「風月堂」です。
「風月堂」は、江戸時代から続く老舗のお菓子メーカーで、現代でもゴーフルと言えば明治以来のロングセラー商品として多くの人に親しまれています。
実際、「風月堂」が和菓子から洋菓子へ進出するきっかけともなった製品の一つがクッキー(ビスケット)です。
元々、江戸時代、和菓子の御用商人として諸大名のお菓子作りを一手に引き受けてきた風月堂ですが、明治維新によって西洋文明の導入が進む時代を見越し、洋菓子の開発にもいち早く取り組んでいました。
その為、明治8年(1875年)には第1号となるビスケットの販売を開始し、クッキーやビスケットは、ようやくお菓子として普及したのです。